卒業生の活躍

座談会

2025年10月4日 座談会を開催いたしました

1期生の山﨑さん、2期生の野木さん、矢野さん、伊藤さんの4名の同窓会幹事の方々にお集まりいただき、南山小学校にて座談会を開催いたしました。社会人としてそれぞれの道を歩まれている皆さんに、現在のお仕事の様子や、学生時代の職業選択のきっかけになった出来事などについて語っていただきました。

取材:有言会広報担当

現在のお仕事について

(敬称略)

山﨑 僕は研修医です。2年間かけて数週間ずついろいろな診療科で研修し、医療の基礎を学びながら、将来の専門科を選定する準備を進めています。そのほかに週1回程度、救急外来の当直をしています。2年目の夏か秋くらいには将来の専門科を決めるのですが、僕は健康寿命を延ばすということに携わりたいと思っていて。例えば、白内障の手術をしたら眼が見えるようになるとか、人工関節の手術をしたら歩けるようになる、というような事なんですが。そういう意味では整形外科とも迷いましたが、最終的に眼科を選びました。

野木 僕も研修医です。研修医としてやることはだいたい(山﨑さんと)同じような感じなのですが、患者さんに実際につかせてもらい、先生と一緒に診察し、今後の診療方針などを考えさせてもらっています。あとは、救急外来などの初期対応もやらせてもらっています。まだ専門科は決めていませんが、ちょうど今、産婦人科で研修させてもらっていて。手術やお産など色々とあり、赤ちゃんからお年寄りまで色々なジャンルの人を診ることができるのはいいなと思い、今は産婦人科志望という感じです。

山﨑 研修先は、僕は生まれ育った名古屋を離れたくないという思いがあり、名古屋市内の病院を希望しました。

野木 僕は逆に名古屋から離れようかなと思いましたが、県外に行く決断はできず、県内の郊外の病院を探しました。それから救急外来の強弱を考えました。周りに病院がないと(患者が集約されて、患者数が多く見込まれるので)色々な症例を診ることができるので、地方の大きい病院を希望しました。

矢野 僕は国家試験とか無縁の世界でして。もともと報道記者になりたかったので、大学もメディアの関係の学科に進み、就職活動もその方面でしました。数社から内定をいただいた中で、地元でもあり、色々なことが出来るチャンスもあったので、名古屋の某テレビ局を選び、3年目です。最初の配属で愛知県警の担当になり、事件記者を2年間やっていました。事件があったら呼び出しがあり、現場に急行して取材です。かっこよくいうと情報網を巡らせておいて、本当にもう足でかせぐというような感じです。「夜討ち朝駆け」という言葉がありまして、警察官の家の前で待って、出勤についていき、警察署に張り付いて、一緒にまた帰ってくるというものです。朝夜それをやることが(取材記者の)文化としてあるのですが、そんなふうに事件記者をやっていました。そしてこの9月からは遊軍(ゆうぐん)という何でも屋のような担当になりました。業態としては、食レポなどもする、笑顔もあふれる担当です。

伊藤 私は客室乗務員です。以前からなりたかったというわけではなく、大学時代のカフェのアルバイトでの接客経験や、1年ほどイギリスに交換留学をした時の経験から、英語を使って働く外資系のCAって楽しそうという、漠然とした動機から就職活動を始めました。  実際に外資系航空会社で日本での採用をやっているところは数社しかなく、内定をいただけたのが香港の航空会社でした。1年目から国際線に乗務でき、海外を飛び回れるという点、また日本人なので日本発着の路線ばかりの乗務というわけではない点や、名古屋に直行便で帰ってくることができるというのが魅力的で、この会社を選びました。CAのトレーニングはとても大変でした。トレーニングは、セーフティー(機内の安全の確保と、非常時のお客様の安全確保と誘導)とサービス(接客)と大きく2つに分かれ、特にセーフティーのトレーニングに重きが置かれています。日本の会社と大きく違うところですが、内定をいただいて香港に行けたとしても、本国でのトレーニングに受からないとCAにはなれず、完全な内定ではありません。もし試験に落ちた場合は、その日に呼び出されて2日以内に帰ってくださいと言われる、いわば強制帰国です。実際クラスメイトも落とされてしまいました。でも振り返ると良い経験だったなと思います。現在は楽しんで仕事をしています。

自分の人生に南山小学校での学びや経験が影響を与えていることについて

伊藤 英語の授業の影響が大きかったですね。南山小学校の英語の授業は、文法はもちろん勉強しますが、文法よりも実際に外国人の先生と親しんで英語でお話しをしましょうといった授業だったので、英語で話すことが楽しいなと、漠然と海外への興味が芽生えたことが、将来につながる大きなきっかけになったと思います。

山﨑 校訓の「かけがえのないあなたと私のために」で、3年生の時の担任の柳生先生が「『あなた』が先にきて、『わたし』がその後にくることに意味があるんだよ」という話をよくされていたことを覚えています。「自分がいるから周りがあるではなく、周りがいてはじめて自分が生かされていることを知れる人になろうね」とお話ししてくださいました。小学生の当時は、家族がいないと生きていけないし、先生に教えてもらわないと自分は賢くなれないし、友達と遊べない毎日はつまらないし、くらいの漠然とした理解しかできず、目の前にいる人に感謝するということがやっとでした。でも今、患者さんを初期対応するとなったとき、病院まで運んでくる救急隊員の方、カルテを作ってくれる事務員の方、看護師、薬剤師、ベッドメイキングする業者の方、そういった自分の見えないところにいるたくさんの方々のおかげで、初めて自分がこの仕事を全うすることができているということを実感でき、社会人となってあの言葉の本当の意味を知ることができたことが嬉しかったです。

矢野 やっぱり覚えているのは柳生先生。僕らが6年生の時の担任の先生だったのですが、大病をされ、しばらくお休みされていた時期がありました。色々悲しいことが続いた学年でもあり、その中で柳生先生が本当にお痩せになって帰ってきて、「自分の中で命について考えるようになった」とか、「この子たちには自分のなにかを残したい」と、「結局、命なんだ」という思いを伝えられたことが強く印象に残っています。自分も仕事を始め、命を軽んじられる事件に遭遇することがあり、殺人事件や事故などで、命が簡単にポンとなくなってしまう現場をみると、あの言葉が蘇ってきます。

後輩の皆さんへ~将来の夢がみつからないとき、どうしたらよいと思うか~

山﨑 「自分の性格には向いていないかも」とか、「自分は手先が器用じゃないから外科系はちょっと無理かな」とか、後ろ向きの理由で夢を諦めてしまう友人がちらほらいました。みんな持っている能力は高いのに、それで諦めてしまうのはもったいないと思います。実際にやってみないと分からないのだから。いったん今やりたいことをやってみればいい。やってみてしっくりこなければ、また別のやりたいことを探せば良いのです。僕は定期的に「生まれ変わっても、今と同じ仕事を選ぶか?」と自分に問いかけるようにしています。もちろん今の仕事と即答できたら、それが天職と思えます。でも、正直なところ今の仕事に就いた後に、来世は小学校の先生になりたいなって思ったこともあります。その頃は教員免許の取り方を調べたり、お世話になった水越先生や、河田先生にご相談させていただいたりしました。でも今はこの医師の仕事を楽しんで、やりがいを感じているので、生まれ変わっても同じ道を選ぶと思っています。

伊藤 私も、やらずに後悔するより、やってみて後悔したほうがいいかなと思います。そう思ったきっかけは、中高生の頃に身近だった人が急に亡くなるということが続いたことです。人生はいつ何があるか分からない。いつ死んでも後悔ないように生きていけたらいいと思うようになりました。それが自分のモットーです。やるべきことが分からなかったら、とりあえず何かやってみて。それが自分に向いているか向いていないか、やってみないと分からないから。とりあえずやってみたら、また違った道が開けるかもしれないから。

野木 中高生の段階で、自分のやりたいことが決まっているっていう人は、結構幸運な人だと思う。僕は全然決まっていませんでした。実際大学に入ってからでも、やりたいことが見つかった時には転学部などできますし。例えば、この小学校だったら宿泊学習に行きますよね。そこで様々な文化やものにふれ、興味が湧いたことで、伸びてくるものがあるかもしれない。大学に入ってからは、バイトやサークルに参加した時に、しっくりくるものがあるかもしれないから。自分の置かれている(私立小学校での学びという)恵まれた環境をチャンスに、広く自分の心を向けることが、遠回りかもしれないけれど、自分の可能性をより見出していけるのかなと思います。

矢野 最近の10代は、SNSでかっこいい人や自分よりすごい人を簡単に目にするようになって、落ち込んで、自分のやりたいことが分からなくなってしまう人が多い気がします。でも、本当に好きなことって、人生を通してずっと心に残っているものだと思うんです。意外と幼少期や小学生の頃に夢中だったことって、裏表なく好きだったことなんじゃないかな。僕は小学校の卒業文集に、「夏休みにいろんなところへ行って野球はすごいスポーツだと思いました。でも選手ではなくて、英語の授業がとてもおもしろかったからそっち側(球団職員)で働きたい」と書いてありました。当時は日本人選手がいなかったけれど、メジャーリーグが大好きで、話し相手がいない中、優しいデュプイ先生が、僕の拙い英語でも会話してくれ、それがきっかけで英語が好きになり、高校では留学もしました。留学先ではテレビ局を志望するきっかけになった出来事もあり、今につながっています。色々なものに染まっていない頃の自分が、何に夢中だったのかを振り返ってみると、意外とそこに本当に好きなものが眠っている気がします。

座談会を終えて

1期・2期同窓生の皆さんの社会人としての立場から語られるお話の数々は、どれも興味深く心に残るものでした。また、南山小学校での学びがいかに人生の土台となっているかを感じさせる数々のエピソードには、母校や恩師への想いが溢れていて、私たちも温かい気持ちになりました。

最後に、今回残念ながら同席いただけなかった1期生の杉野さんから、後輩の皆さんに向けてメッセージをいただきましたので、あわせてこちらに掲載いたします。 お忙しい中、座談会にご参加いただきました同窓生の皆さん、そしてメッセージをお寄せいただきました杉野さん、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

1期生杉野さんより後輩の皆さんへ

現在のお仕事について

クルマに使用する新たな材料を開発しています。その中でも、将来のクルマに搭載されるモーター用の「磁石」を開発しています。現在使われている磁石には、希少な金属が多く使われていて、価格が変動するなどのリスクを抱えています。このようなリスクを減らすことを目的に、新しい磁石の開発をしています。性能(品質など)と量産性(コスト面)を両立できる素材の組み合わせや製造方法を見つけるべく、日々試行錯誤を重ねています。答えが簡単には見つからず苦労も多いですが、実験や分析を通じて新しい素材を生み出していくやりがいと楽しさを感じています。いつかこの磁石を使ったクルマが実用化され、皆さまに乗っていただける日が来るのを心から楽しみにしています。

将来の夢がみつからないとき、どうしたらよいと思うか

将来の夢のきっかけになったのは、南山小学校の入り口で見かけた「豊田産業技術記念館のエンジン分解・組み立てワークショップ」のチラシでした。そのワークショップに参加し、クルマのエンジンを見て「エンジンはなんて熱いんだ」と驚いたことを覚えています。この経験を機に、熱について興味がわき、勉強をしていく中で、熱は燃費悪化の一因であることを知りました。そこで「その熱を別のエネルギーに変えられれば燃費が改善できるのでは?」と考え、大学入学時は熱を電気に変える材料に関心を持っていました。更に大学の授業やニュースを通じて脱炭素や電動化という社会の変化を知り、ハイブリッド車や電気自動車にも興味が広がりました。そしてエンジンからモーター、磁石の資源リスクへと興味は移り、大学4年生から磁石の研究を始め現在に至ります。この経験から、まず手を動かして「やってみる」ことの大切さを感じました。ワークショップを通じて、現場で見て触って聞いて感じたことは自分の経験であり宝になります。実際に手を動かした後に「何を感じたのか(楽しい、面白いなど)」を具体的に振り返ると、次にやってみたいことが見えてきます。1人で考えるばかりではなく、人に話を聞くことも有効であり、現場の課題や社会の流れに触れると興味の幅が広がります。完璧な答えを急がず、小さなきっかけを大切にしながら多くを見て、触れて、たくさんの人と話してみてほしいと思います。

                                                  

前述のワークショップでエンジンの分解・組立をした時の写真です。

男子部で始めたトランペットとヴァイオリンの二刀流で今も楽しんでいます。