恩師からのメッセージ

柳生利昭先生 「あなた」との出会いによってつくられる「私」・「幸せ」

南山大学附属小学校 柳生利昭

  

 あなたは、今、「幸せ」ですか?

 南山大学附属小学校で子どもたちと生きている私には、「幸せだなぁ。」と思うことができる時があります。ありがたいことです。そう思うことができるようにしてくれたのは、昨年度久々に学級担任をした時に出会った子からの一通の手紙です。手紙には、こんな「言(ことば)」がありました。

  

 やぎう先生が、毎日学校にいてくれるだけでうれしいです。

 そして、毎日楽しいです。

 やぎう先生に出会えて、とてもよかったです。

 やぎう先生がいなかったら、こんなに幸せな、毎日がなかったと思います。

  

写真掲載の許可を得ております

  

「幸せ」の定義は難しいものです。「幸せとは何か。その答えはない。」とも言われます。探究し続けることに価値があるのかもしれません。しかし、次の二つのことを思うことができる状況が与えられた時、人は「幸せ」を感じることができるということを知りました。

「自分が我がまま(私のまんま・ありのままの自分)で良い。」

「自分がいることの意味を感じられる。」

 私は、「幸せ」なのだ。さらに、ある子が「あなたがいるだけでうれしい・楽しい・幸せ」だと思ってくれる存在になれたのだ。教師という道を歩むことによって、「なりたい自分」に近づくことができた。教師としての自分の到達点と教師として生きてきたことの意味を自覚させてもらい、ありがたい。そう思うことができました。そう思わせてくれたのは、昨年度担任した子どもたちだけではなく、これまでに出会ってくれた全ての「人=あなた」です。私は、「あなた」との出会いでつくられてきた・つくられていると考えるようになりました。

 すると思い浮かぶのは、これまでに南山小学校で出会った「人」の顔と姿です。

  • センチュリーホールでの入学式で出会ったたくさんの子・家族。今も笑顔でしょうか。
  • 初めての運動会。パイオニア精神を共有して、子どもたちを応援する掲示を作ってくださった方々。子どもへの愛を惜しみなく注ぎ続けておられるでしょう。
  • 「ちいちゃんへの手紙」を何ページ何ページも書いた子たち。ほしいいを作って届けてくださった方。学ぶことの意味や楽しさを味わい続けているでしょうか。
  • 時間がかかる自分であることを受け入れて、がんばりタイムに精一杯取り組み続けた子。今でも、誠実に生きていることでしょう。
  • 多治見修道院で「家に帰りたい。」と言い出して、家族と電話で話した子。ちゃんと、社会的な自立を果たしていることでしょう。
  • 私が手術をすることを知り、南山教会に集まってくれた子たち。みんな、健康でしょうか。
  • 不器用だけど懸命に「自分探し」をしていた子。仮面ライダーに変身できたでしょうか。
  • クラス担任ではないのに、帰りには毎日教室に来て、楽しい話をしてくれた子。今も、まわりの人を楽しませているでしょうか。
  • 卒業の言葉(造語)を「親裏」とし、思い・考えを語った子。人に親しまれ、裏でも支えるドクターをめざしていることでしょう。
  • 運動会の後、晴れ間から光が差してきたのを見上げて、人や心のつながりを確かめた子たち。今も、自分の心にすんでいる人を大事にし続けているでしょう。
  • 田舎の町で、世界とつながる学びをした子。世界にはばたいていくでしょう
  • 国語の時間にロボットを作っていた子。人の「幸せ」をつくる人になっているでしょうか。
  • 山崎川に落ちた子。人の安心・安全を支える人になっているでしょうか。
  • 山崎川の落ち葉が入った袋を、いくつも抱えて帰ってきた子たち。人や社会のために力を尽くす人であり続けているでしょうか。
  • 空に虹がかかったことを必然だと考えた子たち。命をつなぐ「橋」であり続けてくれているでしょうか。

   

 記憶力が最大の弱点になっているのに、顔と姿が次々と浮かびます。一人ひとりが、「今は、どうしているのかなぁ。」「今も、良さや持ち味を輝かせているのかなぁ。」と、思いをめぐらせることもできました。老化予防にもなりました。

 ところで、卒業生が進路を教えてくれた時、必ず尋ねることが二つあります。一つ目は、「世界で一番行きたい・学びたいと思うところに進むの?」です。「そうじゃなければ、行きません。」と言い切った子。小学生の時から思い描いた夢を、まっすぐに追い求めていると信じることができます。もう一つは、「今の進路・自分にとって、南山小学校で学んだことは生きているの?」というお尋ねです。南山小学校で学んだことの意味を確かめたいという思いからです。「生き方としての進路」を子どもたちや保護者の方と共に考えるために、参考にしたり、改善したりする点を教えてもらいたいという思いもあります。それらに加えて、一人ひとりが「今、『幸せ』なのか。」と「南山小学校での『人』(自分)との出会いは、意味あるものであったのか。」を確かめたいという願いももっていたと、今だと思うことができます。また会う機会があったなら、先に示した手紙の「言」を、私の思いと同じ「言」として、あなたに伝えたいと思っています。

 あなたたちに感謝を伝え、メッセージを送る機会をいただけたことを喜ぶあまり、長くなりました。最後に…。

 「あなたと私」は、今も、確かにつながっています。出会ってくれた全ての「あなた」が、今の「私」の「幸せ」をつくってくれました。「あなた」は、人を幸せにする力をもっています。だから、「あなた」のために祈ります。どうか、「置かれた場所」で、自分らしい花を咲かせていけますように。それぞれの「出会い」に感謝し、それぞれの「幸せ」を見つけ出していくことができますように。出会う人に「幸せ」を与える人であり続けてくれますように。私も、探究と努力を続けていきます。

「あなた」に深謝。では、またね。